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鹿児島家庭裁判所 昭和50年(少ハ)1号 決定 1975年3月03日

本人 Z・M(昭二九・五・六生)

主文

本人を昭和五一年二月七日まで中等少年院に継続して収容する。

理由

一  本件申請の要旨

本人は昭和四九年一月一〇日中津少年学院(以下学院という。)を仮退院したが、再度の非行により、同年三月一八日再入院した者である。学院では決定裁判所の勧告もあつて、本人に対しては本科編入時にその生活目標を勤労意欲の養成及び判断力の養成におき短期教育をめざし農業一科で処遇してきたのであるが、入院直後一回の懲戒をうけたもののその後は可もなく不可もないといつた生活である。即ち本人は学院施設への適応はあり、要領よい行動傾向を示すが、作業面では肉体労働を嫌い軽作業を好み、生活面では自己を過大評価するほど自惚れが強く、施設内の対人関係も良好ではない。このような状態であるから本人の生活目標である、勤労意欲は喚起されておらず、判断力の向上もいまだしの状態で、従つてまた累進処遇も一級下にとどまり、矯正効果は上つていない。

また本人の家庭は実父が公務員として稼働し、引受意思もあり帰住先の状況も良好であるが、本人は父を過度に畏怖し、委縮してしまうなど親子間の親近感に乏しいので一層の調整が望まれるし、最近の環境調整においても本人の出院後の職業も未定の状態であり職業調整の必要もある。

以上の如く、本人には勤労意欲、規範意識の育成、社会適応性を高めるべく、なお相当期間収容を継続して矯正教育を行なう必要があり、その期間は学院での収容継続期間六カ月、保護観察期間六カ月合計一年間の収容継続が必要である。

二  当裁判所の判断

一 本件の調査及び審判の結果によれば、次の事実を認めることができる。

即ち、

(一)  本人は、昭和四九年三月一八日中津少年学院に入院し、二級下(D)に編入され、同年三月二六日予科編入、四月一五日本科(農業一科)編入、五月二日少年院法一一条一項但書による収容継続告知(同五〇年三月七日まで)の過程を経て、その後は累進処遇も七月一日二級下(C)、八月一日二級上(B)、一〇月一日二級上(A)、一二月一日一級下(D)に各進級した。しかし本件申請後の昭和五〇年二月二二日には、本人の院内における反則行為が発覚して懲戒謹慎一五日間の処分を受け、同時に累進処遇上も三級に降級となり、現在に及んでいる。なお、この本人の反則行為とは、同人が本年(昭和五〇年)一月頃教官仮眠室の当番を計画的に他の院生と代わり、同室備え付けのノート、鉛筆等を盗んで隠し持ち、或いは使用していたもので、二月の所持品検査の際発覚したものである。この反則行為以外に昭和四九年五月頃本人は他の院生から誘われて逃走計画に加わつたことがあり、本人のみ実行に至らなかつたものの生活態度不良ということで院長訓戒の処分を受けたことがある。そしてこれら以外には、他に積極的な反則行為はみられない。

(二)  ところで、本人が今回中等少年院送致となつた際、裁判所からの勧告(少年審判規則三八条二項にもとづく。)もあり、学院では、入院後約一〇カ月間の短期収容による矯正教育の計画を立て、前回入院の際の処遇も考慮の上、今回は意志、忍耐力及び一般的体力の増強に着目して、農業一科に所属させ、個別的に読書指導、面接指導、教科指導等を行ない、夜間も他の院生とは異なり午後一一時迄の個別面接指導を行なつてきた。

また同学院は、精神薄弱少年を対象にした少年院であるが、入院時の検査では、本人はIQ=九五(新制田中B1式)普通域の知能を有するものの意志弱く、忍耐力、永続性等に欠け、自己中心的で未成熟な点が顕著であるということもあり、精神薄弱に準じた特殊教育を施す必要があるとして、同学院に入院したものである。そして同学院の在院者知能指数調べによれば、本人は学院内五六名中最高位に位置するものである。

以上のような教育内容及び知的能力であつたが、本件申請直前の本年一月頃の本人の状態は次の如きものである。即ち、勤労精神の涵養、体力養成を目標にした実習では、動作に活発さを欠き、指示されたことのみをやつとする等すべてに消極的である。教科教育面では小学四年から五年の学力しかない。出院後の職業をテーマに行なわれた面接指導では、電気関係、ペンキ屋、自衛隊などと変化し、その場限りの安易な考え方であり、他からの被影響性も強い。また院内の対人関係でも同僚とうちとけ、共感することに劣り、ソシオマトリックスでも地位指数は劣り、積極的に集団にとけ込むところがない。そして上記の如く本人の累進処遇は本件申請時一級下(D)である。

このような状態にあるので、入院当初仮退院の予定をされていた本年一月末の処遇審査会でも本人の仮退院を不適当と決定したが、その理由は上記勤労意欲、親子間の親近感の欠如の他、同学院の仮退院申請手続は、通常、院生が一級上(B)になつて行なわれるが、本人は一級下(D)である等の理由から時期尚早とされたものである。

以上の事実が認められる。

二 少年院在院者を収容継続するには、在院者の心身の著しい故障又は犯罪的傾向の未矯正の状態にあることが要件である。その際処遇段階が最上級に至つていないことのみでこれを認めるのは妥当でなく、本人の実質的な矯正状況、今後の矯正可能性を判断した上でなければ認められないというべきである要旨が、その犯罪的傾向の矯正程度は、通常の環境、人間関係における行動の予測、一般社会に復帰した場合の虞犯性等を基準にして判断しなければならない。従つて院内における規律違反及び反則行為の様な規範意識の欠如を直接うかがわしめる積極的な行為がみられないときでも、院内での生活態度等からみて、社会復帰後の虞犯性が認められる場合には、犯罪的傾向がまだ矯正されていないとされることもあるというべきである。

これを本人の場合について考えてみると、本人は前回同学院を仮退院した後一カ月を経ないうちに再非行に及んだものであるが、その際も勤労を嫌つて町に出て、遊興費欲しさから盗品を入質しようとして窃盗に及んだものである。この前例も考えると、既に認めた本人の勤労意欲の欠如、或いは軟弱な意志力に根ざす判断力の甘さ等から現時点では出院後の虞犯性を否定することができず、加えて上記院内での窃盗事件をみても、本人の犯罪的傾向が未矯正であることは明らかと言わねばならない。しかし一方、これらの点は以下の矯正教育により改善可能と考えられ、本人を継続して収容する必要がみとめられる。

そこで進んで収容継続の期間であるが、学院では今後も従前通りの指導項目のもとに、読書指導、教科指導では中学一年程度の学力取得を、面接指導では判断力の向上、自己評価では進路指導、積極性・協調性の涵養を、対人関係面では室長・班長等の役割をもたせ責任感等の養成を目指し、本年八月までの計画を予定していた。

ところで、本人は本年一月末頃からの個別的面接指導で反省文を書くようになつた頃から、意識・態度でも改善の兆しがみえ始め、農作業でも収護の喜びを知る等教育効果をあげてきている様子もうかがえる。更に本人は現在では自衛隊入隊を希望し、その実現も可能性があるとのことである。一方、帰住先の父は本人の就職口について未決定の状態である。

このような事情を総合すれば、継続して学院に収容する期間は少年院法一一条一項但書による収容継続の満了日(同五〇年三月七日)の翌日から五カ月が相当である。更に本人には前記父親との関係の調整等も必要であり、出院後六カ月の保護観察期間も必要である。

従つて、以上の点を考慮して、本人を昭和五一年二月七日迄中等少年院に継続して収容することが相当である。

よつて、少年院法一一条四項により、主文のとおり決定する。

(裁判官 片岡博)

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